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相対論のあけぼの

■アインシュタインでなくても良かったのか

 相対論にはアインシュタインが突如としてひらめき、そのままいっぺんに理論化してしまったイメージがあった。巷の書籍やサイトには、天才的なアインシュタインが、その天才的な能力をもって開発した学問体系である、と。

 

 しかし、かの数学者ラマヌジャンのように、夢で見た物理の神が相対論を教えてくれた、なんていうわけでもなさそうであるし、ニュートンのように落ちたリンゴを見て重力理論を立式した、というわけでもなさそうである。いろいろと文献を見ていると、しまいにはアインシュタインでなくても良かった、時勢的に相対論が出来上がるのは時間の問題であって、たまたまアインシュタインが仕上げてしまった、と書いてあるものさえある。

 

 ではなぜアインシュタインだったのか。というよりも、当時の、おそらく相対論を編み出したであろうと考えられた科学者たちは何に着眼していたのか。その部分に注目すれば、もしかしたら今の物理学で置き去りにされている問題の解決の糸口になるかもしれない。そこで科学史をきちんと紐解いて、なぜ相対論が出来上がったのか、その思考過程を追ってみようと思う。

 

 

■相対論は天才的な閃きではないかもしれない

 相対論、ここでは特殊相対論のことを指しているが、これにはわずかに「相対性原理」「光速度不変の原理」の2つの原理のみから構築されている。

 絶対静止系と慣性系は互いに区別がつかないという「相対性原理」と、座標系によらず光速は常に一定値となるという「光速度不変の原理」。このどちらもが凡人には天才的な発想のように思えるが、どうやらそうでもないらしい。

 

 相対論関連の書物を見てみると、およそ特殊相対論の議論のスタートはガリレイ変換から始まる。それもそのはずで、理論のきっかけとなった考え方自体は1632年まで遡り、ガリレイの「天文対話」の記述からということになる。ここには、言うなれば合成速度と相対速度の話が登場する。

 

 物理を嗜んでいる人なら一度は目にしたり耳にしたりしたであろう、船上の落下実験をご存じだろうか。等速で動く船の上で石を落下させ、同時に岸でも石を落下させると、それぞれどのような軌道を描いて落ちるだろうかという思考実験である。ある科学者は、岸での落下は自由落下で、船上の落下は水平投射だという。しかし別の科学者は、船上から見れば、船上での落下が自由落下で、岸での落下の方が水平投射であるという。はたしてどちらの物理法則が正しいことを表しているのか、という話である。

 

 この記事を書くときにこの思考実験の元の話には「ガリレオの船」という名前がついていることを始めて知った。まぁ、それはいいとして。

 

 この話の結論は、座標系が静止していようが等速で動いていようが、物理法則はそれぞれの系で成立するという点である。アインシュタインは思考のスタートをここに持ってきた。絶対静止系と慣性系は区別がつかず、それぞれで力学法則が成立する。これはガリレイ変換で容易に確かめることができる。そうであるなら、電磁気学も波動学も、すべての物理法則はそれぞれで成立するだろうと考えた。これが「相対性原理」の開発秘話(?)である。

 

 そもそも1600年代の物理学というものは力学のみであったわけだから、ガリレイが力学のみで物理法則が不変だと示したことには疑念の予知はない。しかしその後に発展した電磁気学や波動学でも不変であることを提唱した科学者はまだいないじゃないか。これは自明なことだから歴代の科学者は論じる必要すらも感じなかったんじゃないか、アインシュタインはそう考えていたかもしれない。ところが思考を進めてみると、そう単純な話ではなかったようである。

 

 電磁気学は、研究の果てに電磁波の理論が完成し、基本法則の中に定数としての光速\(c\)を組み込まれることとなる。電磁気学も力学と同様に系に寄らずそれぞれで法則が成立するのであれば、電磁気学の基本法則の中に埋め込まれた光速\(c\)は、もはや慣性系の種類によらず固定された単なる定数であるから、どんな座標系でも光速は一定値としなければならない。こうして、「ガリレイの相対性原理」を電磁気に適用すると、半ば自動的に「光速度不変の原理」”発生してしまう”

 

 雑に説明してしまえば、アインシュタインは天才的な閃きをしたわけではなく、単に、ガリレイの相対性原理は電磁気学にも適用できるのかと考えたに過ぎない。もっと雑に言えば、合成速度や相対速度は力学だけでなく電磁気学ではどのように表現できるのか、と考えたに過ぎない。

 

 これはこれで天才的なことであろうが、巷で大々的にもてはやされているような”天才的”とは、ちょっと違うような気がする。たしかにアインシュタインでなくても、いくらか優秀な物理学者が集まれば、相対論の誕生は潮流だったのかもしれない。なんせ時代背景は錬金術が信じられる中世ではなく、科学が発展しつくした大正時代であるのだから。

 

 

■相対論の草創期

 本来、相対的な概念であった速度が、絶対的なものとなると、そのしわ寄せとして、絶対的な概念であった時間と空間の方が相対的なものとなってしまう。

 

 力学法則は座標系の違いに区別がつかないことが容易に確認できる。ガリレイ変換しても運動方程式が不変だから、高校生でも少しのヒントを与えれば確認できそうだ。

 

 だが、電磁気学であっても座標系の違いに区別がつかないという考えはほんとうにそうなのか。あまりにも理想的すぎないか。例えば導線の横で磁石を動かすと、電場が発生して電流が流れる。制止した磁石の横で導線の方を動かすと、電場は発生していないがローレンツ力によって電流は流れる。観測される現象は同じだが、一方は電場によって説明ができ、一方は磁場によって説明される。この非対称性は完璧主義的な物理学者、とりわけアインシュタインにはとても気持ち悪い。

 

 こうして必然的にアインシュタインが目指す方向は力学と電磁気学のズレの修正となった。だから特殊相対論の論文名は「運動物体の電気力学」なのである。目標は、電磁気学の法則に対しても力学と同様に任意の座標変換をした際に法則が不変となるようにしてやればいいだけの話だ。しかも今度は時間と空間が絶対的な概念でなくてもいい。観測する系によって値が変わっても、もはや許容されるのである。これはアインシュタインにとっては大きな武器となった。

 

 

■ささいな疑問

 ここまでが歴史である。力学法則が不変なら、電磁気学法則も不変になるべきだ。うん。大いに納得がいく。それで世の科学者は量子力学でも不変となるかを研究していった末に、「場の理論」を構築した。

 

 ところで、結局、波動法則や熱力学法則が不変であることはどうなっているのか。物理を学んでいく上で読み落としただけだろうか。ここの部分、どうなっているのだろう。