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波動関数の解釈

物質は波であると考えた。すると、その波の形である波動関数が表している物理的な解釈が何なのかを知りたくなる。

先人は様々な解釈を考え、そして困難にぶつかった。その歴史をまずは追っていこうと思う。

 

 

■\(Schr\ddot{o}dinger\) の解釈(1926)

粒子は波のように広がり、\(\psi\) はその密度分布を表す

 \(Schr\ddot{o}dinger\)は波動関数を密度分布として解釈した。当初私は、波動関数の山が密度の大きいところであり、谷が密度の小さいところだと勝手に考えていたが、\(Schr\ddot{o}dinger\)は疎密波として解釈していたのかもしれない。

 波のどの部分が密で疎なのか、波動関数を縦波と解釈していたのか、横波と解釈していたのか、ということまで調べなかったが、ともかく、\(Schr\ddot{o}dinger\)は波動関数を密度分布として解釈した。

 

 

■ソルベイ会議(1927) 

空間に広がった粒子を観測すると、粒子は一点に収束するが、この収束は超高速で行われることになる

 波動関数が収束するというのはどういう意味であろうか。波動関数が密度分布を表しているのであれば、粒子の何%分はこちら、何%分はあちら、という風に、1つの粒子が様々なところに大きさをもって広がっていることになる。

 ところが「観測」をすることによって、粒子の100%が、この一点に存在する、と判明してしまう。粒子の位置が判明してしまえば、のこりの領域の密度分布は0%である。

 このときの密度分布が、たとえば\(Gaussian\)形から\(Delta\)形に変化するとき、その数式的な処理が光速で行われていいのか、という困難である。

 

 

■\(Born\)の解釈(1926)

\(\psi\)は1つの粒子が観測される確率の分布を表す

 ボルンは電子波\(\psi\)が確率そのものだと言っているわけではない。正体は不明だが\(|\psi|^2=\psi^*\psi\)を計算した値で粒子の存在確率だけは表せると解釈した。

 波動関数\(\psi\)は現象を説明するために導入したものにすぎず、何を表しているかを記述したものではない。なので、「\(\psi\)は複素数だから実体がない」とか「波動関数は粒子だ」とか「\(\psi\)は粒子の存在分布を表す」とかいう表現は全て誤りである。

 この記事を書いている時点では、\(Wikipedia\)も間違いだらけであった。「粒子が広がりをもつ」わけではない。それは\(Schr\ddot{o}dinger\)の解釈である。キリがなさそうなので直さなかったけれど。

 

 ここまでで確かなのは\(|\psi|^2=\psi^*\psi\)が観測確率の分布を表すのみである。ただ、\(\psi\)が実在する波に相当する可能性を否定しているわけではない。

 

 

■コペンハーゲン解釈(1927)

 ボーアの元に集結した物理学者たちが作り上げた波動関数の解釈のこと。これは集まって議論したのであって、一般的な合意をとったわけではないから、中身の議論の細かいところを突いていくと、たとえば\(Pauli\)と\(Heisenberg\)とでは大きく考えが異なる。少なくとも共通見解が取られた解釈は次の通り。 

① 唯一の実在とは、観測者が観測した実験結果のみであり、その過程はそもそも測定不可能で、実験で確認する方法もないので、論じる必要がない。(考えてはいけない)

 

② 実験結果は方法によって波動性もしくは粒子性を示すが、両方の性質を同時に示すことはない 

 

 ①の、考えてはいけない、とはずいぶん投げやりな解釈のような気がしたが、よくよく考えると当たり前のことかもしれない。

例えば、凸レンズを通る光について考えてみる。光源を出た光が、どの経路を通ってスクリーンに到達したかを議論することに、あまり意味がない。それと似た話をしているんじゃないかと私は解釈した。

 

 ②については、「観測」することで、「粒子性が」明確になるのであって、「波動性」としての観測確率の分布が即座に変化しているわけではなさそうである。

 

 現時点で生きている解釈は、このコペンハーゲン解釈である。ただ、くり返しになるが、これは複数の物理学者で共通見解が得られた、大きな一意見であり、真実はもしかしたら全く別のところにあるかもしれない。